留学ブログ・記録

留学の手続きなど。自分が困ったことをまとめました。

今日も村のどこかで

地域の文化を旅行にする

自分の留学について

 

大学では地域の文化に興味を持って、

文化を生かした観光をもっと学びたいと思った。

 

自然と人が共生する、

熱帯雨林インドネシアを選んだ。

 

大学のインドネシア研究の専門家の先生に協力していただき、

JICAの草の根プロジェクトで国立公園のエコツーリズムを支援している

日本環境教育フォーラムでインターンさせて頂けることになった。

 

NGOではビザや生活の手配が難しいということで、

IPBというインドネシアの大学につてがある先生に協力していただき、

エコツーリズムの授業を取ることになった。

 

1年間の半分は大学のあるボゴール、

半分はNGOのフィールドであるマラサリ村にいた。

 

マラサリ村には自然と共に生きる人々がいた。

 

自家消費用の米や野菜を育て、農閑期にはちょっとしたものづくりをする。

子どもの結婚や進学が決まりまとまったお金が必要になると、牛やヤギをうる。

ケータイは、誰かが死んだ時の連絡くらい。

毎日アッラーに祈りを捧げつつ、

ニポハチという稲の神様のお告げを聞いて稲の収穫の時期を決める。

 

文化を生かした観光とは何なのか、

旅行者にとっては面白い。けどそこに住む人にとっては切実な暮らしである。

 

自然を守りつつ行うエコツーリズムとはわけがちがう。

文化を見せるには、自分がそこに住みながら細やかな配慮を行わなければ難しい。

そう感じた。

 

留学中の観光開発の中で、文化の客体化、

マラサリ村の住民たちが自分たちの土地を客観的に評価する状況が生まれていた。

彼らにとって普通である棚田が観光客にとっては感動する規模であること。

自分たちがすごいと思う滝は、日本人にとってはそうでもであること、

ゴミが散らかっているのはよくないこと。

 

観光客の目線に住民が立ち、観光化が進んでいくことはいいことなのだと思う。

ただ、塩梅を間違えると、文化の破壊・生活の破壊をもたらす。

 

すごく繊細な状況に困惑した。

ただの大学生の私には真正面から向き合えなかった。

JICA職員のヒアリングに、相手が聞きたいであろう回答を用意する、

したたかでしなやかな住民。

 

生活がかかっている人に生半可な気持ちで、

文化を旅行にしませんかとは言えない。

 

地元にメリットがある形に落とし込める確証がまだなかった。

 

2016年10月に帰国、2017年にももう一度卒論の調査で訪問した。

その後2018年3月に大学を卒業し、今、2019年4月。

東京の出版社に勤めている。社会人になった。

 

マラサリ村の住民に何もできていない。

文化を旅行にすることの回答は何もない。

 

いつか、マラサリ村を訪問すると

ケロッと村には大きなホテルが建っているかもしれない。

 

なんとかしたい、答えを見つけたい。

けれど自己満足かもしれないが、